11th58 - 私的記念日の視覚詩学
ある出来事を、言葉ではなく、かすかな形や色の重なりとして記録しようとする試みがある。
その試みは、しばしば曖昧で、不完全で、しかしながら深く心に残るものだ。
<11th58>という符号は、
何かを記念する気配を帯びながらも、その意味を明かそうとはしない。
この曖昧さは意図的であり、むしろ見る者にそっと問いを手渡す。
これは数字か、時刻か、暗号か。記念日か、ただの記号か。
その解釈の余白にこそ、作品としての核がある。
描かれているのは、段ボールの切れ端に描かれた小さなイメージたち。
素材は粗末でありながら、そこに込められた構成と線の配置は繊細で、どこかしら静謐だ。
丁寧に選ばれたかのような不均衡な余白、中心に据えられる象徴的な数列、
遊びのようでいて破綻しないかたち。
無意味に見えるそのすべてが、何かを宿している。
それは、説明されるべきものではない。
このシリーズは、意味の明確化を拒みながら、見る者の記憶の底に触れようとする。
言葉にならない想い、定義できない時間、
目の前の事物が不意に愛おしく見える瞬間。
そういったもののために、このかたちはある。
<11th58>とは、
おそらく何かの始まりではなく、続いていく時間の途中に、
ふと刻まれた目印のようなものなのだ。
記念碑ではなく、しるし。
答えではなく、余韻。
これは、誰かのかけがえのない記憶が、
かすかなユーモアと、ちいさなまじめさによって
そっと世界に差し出された痕跡である。